こんにちは。みかどです。

すっかり年末ですね。

最近の日課はクソ寒い中ベランダでぜんざいを食すこと。

真冬のキャンプでカップヌードルを食べたり、猛吹雪の中ギリギリまで裸で耐えてから露天風呂に入ったり、極から極へ振り子することが大好きなんだなーと再認識している年の瀬です。

そういえば先日、とあるコラムでお天気キャスター森田正光さんが、「自然は本来アンバランスを嫌うため、何か変動が起きると均衡を図るため反動が起きる。」という趣旨のことを語られていました。

「嵐の前の静けさ」や「台風一過」という表現があるように、振り子的な考えは日本人が昔から知覚している法則なんでしょうね。

私の場合は事後対応的にというより、極楽の到来を確信した上で、その効用を高めるためにあえて事前に逆のことをするというタイプですが。

話が逸れすぎた。本題に入ります。


一歩踏み出す勇気をくれる『えんとつ街のプペル』


巷で話題の『えんとつ街のプペル』を観に行きました。


感想めいたものを語る気はありませんが、西野さんのことが嫌いな人ほど観に行って欲しい映画です。

おそらく逆サイドに大きく振られるかと思います。

私は元々『革命のファンファーレ』や『新世界』を読んだりと、好きサイドの人間なので、真っ直ぐに楽しみました。

ルビッチみたく夢みる三角青年にはぐさりと刺さりました。

キンコン西野さんを全く知らないという方は、この動画観てから臨むとより楽しめるかと。

ブルーノの名台詞には心打たれました。

『ありやしない』と思ったが、『まったくない』とも言い切れない。なぜなら、誰も行ってない」

作品自体には触れませんので、実際に劇場でご覧ください。

観賞後にあれやこれやと思ったことを切り取り留めておきます。


法則として必ず存在する作用反作用


まずはじめに感じたこと。

これは自分の経験とも相まって、より深く実感している。

いわゆる、作用反作用の法則。

カフェで足元にコンセントがある時に、ちょっと机を押して椅子との間にスペースを作りますよね。そのときに働く、あれ。(足元にコンセント設置するカフェは大嫌い)

あの力は物理法則のみならず、人生のあらゆる局面でも当てはまりますよね。

何か現状の均衡が取れた状態を崩そうとすると必ず働く法則。

サラリーマンを辞めるというとリスキーだと忠告されたり、会社で新制度導入するとなると必ず反対勢力が現れたり、何か尖った意見を公表するとネットで叩かれたり。

挙げだしたらキリがない。。

作用反作用というと、完全に逆の力が働くだけなのでネガティブなイメージですが、向かい風ととらえるとポジティブな意味あるものに変わるのかも。

速く走れば走るほど当然向かい風は強く受ける。

が、飛行機くらいズバ抜けて速くなると向かい風を揚力に変えて飛べちゃうんですね(時速300キロ前後らしい)。それどころか、向かい風が強ければ強いほど早く飛翔できるらしい。

これはなかなかに哲学的で美しいな。

キングコング西野さんはそんな向かい風を揚力に変えた最たる人でしょう。

だからこそあんな作品を創れるんだろうな〜。

1速から2速、3速とギアを上げていくごとに逆風は強くなるだろうが、150ノットくらいまで一気に駆け抜けて飛んじゃおう。

雲を突き抜けた世界では一気に空気抵抗も少なくなるし。

ドドンパレベルで諦めることだけは避けたい。


事実と仮説を見極めるよりも宝石かゴミかの見極めが大事


新卒としてコンサルファームに入社すると、よく耳にするフレーズ。

「それは事実?それとも仮説?」

耳に胼胝ができるくらい言われました。(どうでもいいけど、タコって漢字難すぎ。ネプリーグ最終問題クラス。)

これは確かに重要。

事実調の仮説って世の中にめちゃくそありますもんね。(←これもそう。調べていない。)

言っている本人も最初は仮説だと思っていても、仮説のまま保ち続けているといつの間にか自分の中で事実になっちゃう。これはよくあること。

部下の仮説ベースの報告をもとにプレゼンして、「それって本当なの?」とクライアントから刺されて応えられずダダ滑りなんて皆絶対避けたいわけです。

特に、システム導入PJだと検証していないとあとでどエライ目に合います。

幸い私はビビりでしっかり検証するタイプだったので、お叱りを受けることはありませんでしたが。

とまあこれは当たり前の話なのですが、それよりも大切だと思うこと。

玉と石の見極め”です。

人は過去の経験から、自分が知っている様々な事実とそこから抽出される仮説(その人の中ではほぼ事実)を持っています。

そして、そんな事実調の仮説から外れる事象をみると、それを正そうとします。

先に挙げた反作用事例も全てその類でしょう。

中にはありがたいものもありますが、これらの仮説達はまさに玉石混交。

宝石だけを見つけ出す選球眼を身に付けないと、大変なことになりそうです。

石ころだとまだいい方です。中にはゴミも混じっています。

データ分析の世界で頻りに言われる「Garbage in Garbage out(ゴミからはゴミしか生まれない)」。

どれだけ処理能力の高い優秀なシステムがあっても、InputがゴミならOutputもゴミなんです。

ゆえにデータクレンジングなる仕事があり、価値があるわけです。(キュレーターの価値もそこなんだろうな)

人間も同じ。

いろんなところから幅広くInputを得るのは大事ですが、適切に条件を設定してオミットしなければ。

ゴミ食ってゴミを産む処理なんて絶対したくないんだもの。

少年ルビッチは他の大勢の意見は取り入れず、唯一星を実際に見たであろうブルーノの意見だけを信じ行動した。

その結果、夢を実現できたわけです。

取り入れるべき意見、捨てるべき意見はしっかり見極めなきゃですね。

ちなみに『えんとつ町のプペル』では、ゴミ人間が夢見るルビッチっと一緒に星を観に行きますが、西野さん曰く、誰しもが元々持っていたが折り合いをつけて捨てたもの(=夢)をゴミ人間という形で表現しているので、ここでの趣旨とは異なります。ややこしくしてすみません。


どうやってジャッジすればいいの? −ソクラテス的見解−


じゃあ、一体取り入れるべき意見はどんなものだ?どうやってジャッジすればいいんだ?

そんなことを考えていると『クリトン』の1シーンを思い出した。


無実の罪で死刑が決定した囚われの身であるソクラテスを、友人のクリトンが救出しようと試みるシーン。

クリトンはそこそこのお金落ちで友人思いのいい奴です。その気になればソクラテスの脱獄を手助けできる人物。

そんなクリトンががソクラテスに脱獄を決意させるために様々な理由で説得します。

子どもの世話はどうするんだ!とか色々あるのですが、理由の1つが、無実の罪で投獄された友人を救出することができなかったとなると世間の嘲笑の的になってしまうという点。

そこでこんな問答が展開されます。

ソクラテス:人々が思いなすさまざまな意見のうちには、価値を認めるべきものとそうでないものとがあるというのだ。これは、どうかねクリトン、きみには正しい言葉であると思われないかね。

(中略)

われわれは人々の意見を、どれでもすべて尊重すべきなのではなくて、そうすべきものとそうすべきでないものとがある、また、意見を尊重すべき人々と、そうではない人々とがいる、とそれは言っている。きみはどう思うね。この言論はこれでよいとは思わないかね。

クリトン:それでよいと思う。

ソクラテス:つまり、有益な意見は尊重すべきであり、役に立たない意見はそうすべきではないというわけだね。

クリトン:そうだ。

ソクラテス:そして、有益なのは思慮のある人の意見であり、役に立たないのは無思慮な人の意見ではないか。

クリトン:もちろんそうだ。

ソクラテス:さあ、それでは、つぎのようなことについてはどう言われていただろうか。身体を鍛錬している人は、練習を行うにあたって、だれかれの別なくすべての人の褒め言葉や悪口や意見に注意を払うだろうか、それともある一人だけ、つまり医者であったり、あるいは体育指導員であったりする、ただ一人の人だけの言うことに気をつけるだろうか。

クリトン:その一人だけだ。

ソクラテス:つまり、非難を恐れ、称賛を喜ぶべきであるのは、そのただ一人の人の称賛や非難であって、多数の人々のではないということだね。

クリトン:それは明らかだ。

ソクラテス:したがって、身体を鍛えるものは、監督であり専門的知識のある一人の人がよいと思うやり方に従って、練習を行い、また食物や飲物をとるべきであって、それ以外の人々が全部束になってそう思ったとしても、かれらの意見には従うべきではない。

クリトン:そのとおりだ。

ソクラテス:さて、それはそうだとして、かれがもしその一人の人の言うことを聞かず、その意見と称賛を尊重しないで、多数の何の知識もない連中のそれを有り難がるとしたらどうだろう。はたしてかれは何の悪いこともこうむらずにすむだろうか。

クリトン:いや、けっしてそんなことはない。

ソクラテス:ではその悪いことは何だろう。それは、言うことを聞かなかった人のどこに及び、何に関わることになるのかね。

クリトン:もちろん身体にだ。身体を駄目にすることになるのだから。

ソクラテス:正しい答えだ。

(引用元:『ソクラテスの弁明・クリトン』(プラトン) (岩波文庫)より『クリトン』第6・7節)

いろんな意見に溢れている現代だからこそ、より一層輝きを放つ言論。

今後インデペンデント・プロデューサーになるにあたっては、やはり実際に自分で事業を興したことがある人の意見の方が興味が沸くし、取り入れていくべきものかな。そういう意味では、同じく個人事業主として戦っている親の意見はとても重要だな。。

まあ、事業内容やフェーズによって聞き分けが必要ですが。

すべて貴重な意見だよ!という意見もあると思いますが、私は割と上述のような考えを持っているのでそのような意見も受け流します。

GarbageをinしてGarbageをoutするのに終始する人生だけは避けてこう。

そんなことを思ったり、思わなかったりした映画でした。

そういえば今年のM-1でもオズワルドが審査員から正反対のコメントいただいていましたね笑

どっちが自分の進みたい方向性を極めている人かに尽きるのかな。あれ言われたら戸惑うなー笑

あ、もう一つ重要な視点を忘れていた。

人は変わり続ける。ゆえに発言も変わり続ける。それが普通。

そういう意味では、審査員の発言もあのときの空気だからそうだったというだけでしょうね。

違うシチュエーションで同じ漫才を見たらまた違ったコメントになるでしょう。

当たり前だけど、意外と現代人が忘れがちな重要な視座。

この辺りは養老先生の『バカの壁』を参考にしながら後日考察してみたいと思います。

それでは、また。

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